目標に向かい進み続けるために、コンディショニング作り、そしてアスリート人生を設計できる方を、Think Athleteと定義。VENEXは、リカバリー環境のサポートにより、悔いのないアスリート生活、人生のサポートをすることを目指しています。
今回のThink Athleteは、パラ競泳選手の富田宇宙選手です。富田選手は進行性の目の難病である、網膜色素変性症と向き合いながら、23歳でパラ水泳をスタートしました。水泳、競技ダンス、そしてパラ競泳と一筋縄ではいかないキャリアを歩みながら、世界の第一線で戦い続ける富田宇宙選手のこれまでの歩みと、競技や人生においての価値観の変化を伺いました。
幼少期から学生時代、水泳と“宇宙”への憧れ
RLスタッフ:まずは、これまでの歩みについて教えてください。
富田選手:水泳は3歳から続けていましたが、最初から水泳選手を目指していたわけではないんです。名前が「宇宙」ということもあって、子どもの頃は本気で宇宙飛行士になりたいと思っていました。勉強もスポーツも、その夢のために頑張っていました。
RLスタッフ:高校生のときに大きな転機があったそうですね。
富田選手:高校2年の時に進行性の難病、「網膜色素変性症」と診断され、視力が徐々に失われていくことが分かりました。宇宙飛行士の道は断念し、システムエンジニアを目指して東京の大学に進学しました。水泳を引退して、大学から6年間、競技ダンス(社交ダンス)にアマチュアとして打ち込みました。
RLスタッフ:パラ競泳選手に至るまで、ユニークな経歴ですね。
富田選手:アスリートにしてはややこしい経歴ですよね(笑)。目が見えるパートナーと協力して工夫をすれば、障害があっても健常者の競技会で充分競えると考えて頑張っていましたが、病気が進行するにつれて、さすがに全日本大会など第一線では勝ちきれないと感じるようになり、引退しました。
RLスタッフ:その後、パラ競泳で水泳を再開されたのですね。
富田選手:「次は障がい者としてできるスポーツに挑戦しよう」、と考え、水泳を再開しました。仕事と並行してトレーニングをし、必死にタイムを伸ばして強化選手に選ばれました。パラ世界大会の東京への招致が決定したことで支援企業が増えてきた時期でもあり、2015年にシステムエンジニアを辞めてパラアスリートに転身しました。
強化環境と急成長、日本体育大学での挑戦
RLスタッフ:本格的にパラ競泳選手として活動を開始され、大学院にも進学したと伺いました。環境面での変化はありましたか。
富田選手:はい、2017年に日本体育大学の大学院に進学して、大学生たちと同じ環境でトレーニングをし、レベルアップを図りました。コロナで東京の大会が1年延期にはなりましたが、メダルを3つ獲得することができました。
RLスタッフ:パラ競泳選手になってから、転機やターニングポイントはありますか。
富田選手:やっぱり、大学院進学ですね。日体大の水泳部は全国屈指の強豪で、さらに競合の中でもハードトレーニングで有名な部活でした。しかも当時世界大会に出場する選手が5、6人いて、超レベルが高い環境でした。レベルの差に加えて視覚障害もあり、年齢も重ねている“おじさん枠”でしたが、揉まれたおかげで強くなれましたね。
RLスタッフ:極めてレベルの高い選手の中でトレーニングされていたのですね。
富田選手:毎日“もずく”みたいになるまで泳いでいました(笑)
気合だけで無理やり練習についていってましたね。その頃、障害クラスが「S11」という、視覚障害の最も重度のクラスに変わり、メダル候補選手として国際大会や合宿に招集されるようになっていきました。「出場を目指す」から「結果を残す」へと立ち位置が変わり、アスリートとしてのギアも上がったように思います。

結果至上主義からの変化-心のターニングポイント
RLスタッフ:価値観の変化につながる出来事はあったのでしょうか。
富田選手:何をやるにも「とにかく厳しくやるのがいい」と思って生きてきました。ダンスをしていた頃もそうですし、アスリートを仕事にしてからは特にその考えが強くなって、結果を出せないくらいなら辞めたほうがいい、メダルを取れないならやる意味がないというようなことばかり考えていました。
RLスタッフ:自分にも、周囲にも厳しかったのですか。
富田選手:かなり厳しかったです。まず自分が誰よりも頑張って、みんなを引っ張っていく。結果が出せなきゃやる意味ないぞ!みたいな思いがありました。ただ、ずっとそれだけでやっていると、だんだん苦しくなってくるんですよね。自分に対しても周囲に対しても結果だけを求め続けた結果、その過程にある喜びや学びといった価値を見失ってしまい、「何のために頑張るのか」という根本的な問いと向き合うことが必要になってきました。

RLスタッフ: その頃の心の状態はどのようなものだったのでしょうか?
富田選手:多くの国際大会でメダルを取れるようになったことはもちろん嬉しかったんですが、そういった成果による達成感というのは一過性のものなので、繰り返すうちに、そこから何かを得られるものでもないということがわかってくるんです。4年に1度の世界大会があるけど、そこでメダルを取る意味はなんだろうと。
RLスタッフ:そうだったんですね。
富田選手:しかも私は、幼少期から水泳選手になりたかったわけではないので、それが“夢”っていう感じがあまりなく、勝つことは“目的”にはなり得ないと気が付いたんですよね。そこから、じゃあ自分は何のために泳いでいるのか、それがわからないと結果を出しても苦しいままではないか、と考え込むようになっていきました。
RLスタッフ:その問いにどうやって答えを見出していったのでしょうか。
富田選手:その頃偶然SNSで、スポーツドクターの辻秀一先生が「スポーツはご機嫌にやらなきゃ意味がない」と仰っているのを聞いたんです。それまで私の中では、スポーツはとにかく苦しくて、ひたすら我慢して結果を出すものだったので、真逆の価値観に面喰いました。会いに行って最初に、「結果を出さないと意味がないと思い続ける人生は、一生苦しい」と指摘されて、胸に刺さりましたね。
仮に勝つことが全てだとしたら、金メダルを取った1人が満たされて、残りの参加者全員が自己肯定感を下げるのがスポーツ、ということになってしまうんじゃないのか、という問いもスポーツ本来の価値に立ち返るきっかけになりました。
自己肯定感から自己存在感へ
富田選手:アスリートである以上、結果を目指すことは変わりません。ただそれに加えて、「なぜやるのか」「楽しいと思えているか」といった言葉を自分に問いかけながら取り組むようになりました。しかめっ面でやっている時って、実はパフォーマンスは低いんですよね。
RLスタッフ:人生を変える出会いでしたね。
富田選手:それまでも様々なメンタルトレーニング、コーチング、カウンセリングなどを試してきましたが、辻先生のメソッドはそれらと違っていて。目から鱗で、一番しっくりきたんです。
それまでは「成功体験を積み重ねることで、なんとか自分を肯定しよう」と思っていました。
でも実際にはいくら成功したところでキリがない。今は、成功したら自己肯定感が上がる、それを目指して頑張る、という不安定なバックキャスト的モチベーションではなく、ただ純粋に自分がこう在りたいと願う自分、心も身体も最高のコンディション、それを維持し続けることで結果としてパフォーマンスが最大化されて想像を超えた成功を引き寄せる、というフォアキャスト的なモチベーション「自己存在感」を大切にしています。「自分がどうありたいか」を軸に生きるようになって、結果に左右されず、いつでも機嫌よく成長し続けられる人間になってきていると感じます。
RLスタッフ:その考え方は、競技を超えて社会にも通じますね。
富田選手:今の時代、努力とその結果に伴う利益の結びつきが弱くなってきていますよね。だからこそ、「自分がなぜそれをしたいのか」という内発的な理由や目的を自分自身に問い続ける力が、挑戦を続けていくために不可欠なスキルだと思っています。
後編では、競技生活を支えるリカバリーや、VENEXとの関わり、そしてThink Athleteについて伺っていきます。
■Profile

富田宇宙(とみたうちゅう)
1989年熊本県生まれ。宇宙飛行士を目指して九州の名門、濟々黌高校に進学。
16歳のときに、失明に至る難病、網膜色素変性症が発覚する。大学、社会人と徐々に視力を失いながら、23歳でパラ競泳をはじめ、現在は世界大会で活躍するパラ競泳選手である。
〈主な成績〉
2021年:
東京2020パラリンピック競技大会(日本)
400m自由形、100mバタフライ 銀メダル
200m個人メドレー 銅メダル
2022年:
マデイラ2022WPS世界選手権(ポルトガル)
100m自由形 銀メダル
100mバタフライ、200m個人メドレー、400m自由形 銅メダル
2023年:
マンチェスター2023WPS世界選手権(イギリス)
100mバタフライ 銅メダル
杭州2022アジアパラ競技大会(中国)
200m個人メドレー、400m自由形 金メダル
100m自由形、100mバタフライ銀メダル
2024年:
パリ2024パラリンピック競技大会(フランス)
400m自由形、100mバタフライ 銅メダル
2025年:
シンガポール2025WPS世界選手権(シンガポール)
400m自由形 銀メダル